金融商品としての株は、野菜の株と違って腐りません。
英語では株、ストック(stock)あるいはシェア(share)と呼びます。日本語においても「株券」と「株式」の二つの言葉があります。
ストックは株券、シェアは株式に対応します。株の世界では、二つの概念を無意識のうちにも使い分けています。
「株券」よりは「株式」を使う機会が多いです。株券には単体としてのモノのイメージが強いですが、株式はモノとともに「数量」のイメージが付きまといます。株を保有したり売買するときには、「何株を?」が意識されます。
数量は大事です。
金額=数量×単価
単価は日々のマーケットの動向で変動する「時価」を私たちは気にします。そして、数量を掛けた「時価総額」を気にします。現金に換算していったい幾ら儲かっているのか、あるいは損しているのかが重要な問題です。
イチロー効果です。「数量」の重要性をこのブログでは問い続けています。数量は売買しない限り 変動しないからです。
株式には数量の意味が含まれていますが、ついその意識が希薄となり、一足飛びに「時価」ないし「時価総額」で頭が一杯になります。
そんな思考回路の頭には、「株券」を注入してみましょう。「株券を幾ら保有している」、「株券を幾ら買おう売ろうか」。株券といった言葉を使って自分の中で考えるようにします。
「株」よりは「株券」、さらには「株券」よりは「株式」と言った方が、なにか格調高い響きがしませんか。私は確定拠出年金(401k,iDeCo,DC)の運用に比べれば、株については酷い目にあい続けています。株で惨めな思いをしてきた様子は『はじめに』などでさんざん述べてきたとおりです。
そんな私でも人前では、「株をやっている」とは言いません。「株式投資をやっています」といいます。
「株」という漠然としていて趣味でやっている印象を与えます。「株式」というと帳簿をつけたりして数学を駆使して取り組んでいる様子を想起させます。
でも、偉そうに「株式投資」と言っている割には利益が出ていません。数量の意味での「株式」というよりは、「時価」とか現金に目を奪われる投資を私は続けているということです。
まだまだです。私の思考回路にも「株券」は必要です。
株式投資では残念続きですが、確定拠出年金は順調です。毎日のスイッチングは、保有口数をチェックしてから行います。「株券」を意識する瞬間です。
株券は冷蔵庫に保管しなくても、腐りません。時価や時価総額と違って、マーケットの動向によって変動するファクターではありません。
株が持つこの普遍性のメリットを、もっと意識しましょう。