正月は故郷の実家で過ごしています。実家に戻ってくると、ふっと昔のこと思い出しませんか?
インターネットがない時代、紙の新聞は大事な情報源でした。実家は今も昔も変わらず、新聞は朝日。普段は日経新聞を読んでいますが、大学で上京するまでは朝日新聞を読んで育ってきました。
朝日新聞が生んだ気骨のジャーナリスト本多勝一氏の「パイオニアワーク」をふっと思い出しました。
気骨のジャーナリスト本多勝一氏
予備校で京大志望の友人と知り合いました。なぜ京大かって、学生寮に入って学生運動をやりたいからです。昭和が終わって平成に入った30年近く前。学生運動の全盛期は過ぎ去り時代錯誤感は正直ありましたが、興味本位で彼の話をよく聞きました。
彼が好きだったのが本多勝一氏。ベトナム戦争のルポで有名です。たしか、西側諸国で初めて北ベトナムに入り取材に成功しています。ベトナム反戦のシンボル的な存在です。
パイオニアワークに駆り立てられた学生時代
京大志望の彼の薦めで知った本多勝一氏の著書は、大学に入って上京してから随分読みました。
本多氏は冒険家です。京都大学では山岳部に所属していました。エベレストが既に踏破された時代にあって、No1を目指す登山の領域はなくなりつつありました。「そこに山があるから」で有名なマロリーの時代は、登山の目的は明確でした。
本多氏は「創造的登山(パイオニアワーク)」を提唱しました。登山者の内面に目的を求める考え方です。故・植村直己氏の活動は、世界初の5大陸最高峰単独登頂とともに、冒険の間に綴られた日記に描かれる内面的な葛藤が感銘を誘います。
パイオニアワークは、登山の域を超えて本多氏のジャーナリズムの礎ともなっています。北ベトナム取材は命をかけた冒険です。冒険魂で書かれた朝日新聞の連載が、当時、ベトナム反戦運動に大きな影響を与えました。
そして、アイヌ、エスキモーなど少数民族の取材にもパイオニアワークを発揮します。私は学生の頃、バックパッカーでした。本多氏の「パイオニアワーク」が意欲を駆り立てました。
まとめ
若い頃の影響って強いですね。新聞をネタ元にしてブログ書いているのは、若い時からの新聞への親しみからじゃないかな?そんなことに気付かされたお正月でした。
確定拠出年金の毎日スイッチングは、誰もやっていないので不安に駆られることがあります。ブログは私の内面の葛藤の現れでもあります。ブログを書いて冷静さを取り戻しています。
生死を分ける登山じゃなくても、弱い立場の個人投資家の活動はパイオニアワークです。ともに頑張りましょう!