丁寧でありたい

良く勘違いしてしまうのが、丁寧さを追求すぎるあまり、細かくなってしまうことです。

江戸切子をみたときに圧倒される、細やかさです。

 

でも、輝くガラスの鋭利に、どこか暖かさを感じるのは、

丁寧に作り込んだ職人の思いを感じ取るからです。

 

私は技術会社に勤めています。

「もっと丁寧にやってほしい」なんて話すと、やたらに細かい資料を部下は作ったりする。

細かさの追求が始まる。

細かすぎると、受け取ってチェックする側が確認を諦めてしまう。

あるいは、神経質な上司の手に資料が渡ろうものなら、鬼の形相で赤字が入り、さらに細かくなる。

チェックの段階では一時しのぎできても、メンテナンスができない資料が完成されてしまいます。

 

逆に、大まかだから良いわけではありません。

プレゼン資料を渡されて、「さあ、やりましょう。予算いくらかかりますか?」なんてセンスで話が進むと、

あとから技術で埋め合わせるのが困難です。

 

細かすぎず、大まかにならず。

受け手がどう感じるか想像しながら資料を作る。

どう感じ取られるか不安があるから、途中段階で受け手とコミュニケーションを取ったりします。

丁寧に愚直なアクションの積み重ねが、結局のところ近道だったということが多いです。

 

確定拠出年金(401k,iDeCo,DC)の資産の僅か数パーセントを毎、日動かし続けています。

動かす資産は、僅か数パーセントと「細やか」。

同時に、動かさなかった残りの資産は、妥当な額なのだろうかと「大まか」に捉えます。

Excelに付けている帳簿をみながら、「細やか」かつ「大まか」に丁寧に考え、

動かす資産を決めるように心がけています。

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